あるいはiで一杯の文

前日か当日に観たり・聴いたり・読んだりしたものについて書いていこうと思います。この文を読んだ方が、それらに触れたくなってもらえたら幸いです。

きっかけは勘違い

 手短にこのブログの概要について。ここでは僕が観たり、聴いたり、読んだりしたもの(映画、音楽、本etc.)について、書いていこうと思います。その目的は、僕自身が「何に触れて、どう思ったか」ということを確認し記録するためと、もう一つは僕が気に入ったものを他の方にも観たり、聴いたり、読んでもらえたらなという思いからです。このブログが、何かのきっかけになればと思います。
 というわけで、第一回目はチャップリンです。新年初笑いを求めて、“キッド”と“黄金狂時代”、“街の灯”の三本立てで観たんですけど、街の灯が凄かった。上映時間の8/9は笑ってたと思います。

あらすじ ある日、浮浪者チャーリーは道端で花を売る女性と出会う。彼女の笑顔に心惹かれ、花を一輪貰おうとお金を手渡そうとした際に、彼女が盲目であることに気付く。盲目で貧しい彼女のために、お金を工面しようと奮闘するチャーリー。しかし、チャーリーが頑張れば頑張るほど、彼女は彼がお金持ちの紳士であると誤解していく…。

 何より映画が始まった直後で、笑いました。街の公園で新しく建てられたモニュメントの披露宴、そのモニュメントを覆っていた布を下ろすと、爆睡しているチャップリンが登場。その後もテンポ良く笑いを挟みながら、物語が続いていく。盲目の女生と出会うシーンでも、しっかり笑いを入れてくるところも良かった。というか、チャップリンがいる場面でギャグが無いシーンって、最後の目が見えるようになった彼女との再会するシーン以外無いかもしれない。
 個人的にチャップリンの凄いところは、体の動きと舞台装置の使い方だと思うんです。ド派手なアクションや大がかりなセットではないけれど、その場にあるもの(役者の体と小道具)を工夫して作るおもしろさ、そこに感嘆しつつ、笑ってしまう。ボクシングのシーンとか、ホント凄いんですよ。動きだけで、あんな面白いもの撮れるんだとびっくりですよ。昔の映画だからと言ってしまえばそうだけれども、CG無し且つ無声、カメラもほとんど動かさないで、あそこまで引き込まれるのはやっぱり凄いとしか思えない。
 池波正太郎は“サーカス”は人生の「勘違い」がテーマであると言っているが、街の灯もお金持ちだと勘違いしている女性のために、チャップリンが奮闘する話だ。ある勘違いで生まれるドラマがチャップリンの基底にあるのかもしれない(独裁者に間違われた床屋然り、拾った子供の父親と勘違いされる浮浪者然り)。勘違いがきっかけに何が始まろうと、忘れてはいけないのが“笑顔”だということを、チャップリンは文字通り体を使って、教えてくれたのではないかと思う。