あるいはiで一杯の文

前日か当日に観たり・聴いたり・読んだりしたものについて書いていこうと思います。この文を読んだ方が、それらに触れたくなってもらえたら幸いです。

人の希望は全てSF

 人が生きていく上では、大小問わず多くの問題や悩みは付きものだ。周りの人間関係や自身の経済状況の苦労は頭から離れないし、ふと遠くを見渡せば、災害・紛争が絶えず、温暖化・食糧難は未だ解決されていない。
 個人を含め、世界の未来が明るいものではないのなら、決して高望みはせず、現状維持に徹するべきでは?事態を好転させる道は選ばず、現状のまま朽ちていく方がいいのでは?
 そんな個人的な悩みから地球サイズの問題に立ち向かう勇気と、これからの未来を信じる力を与えてくれる映画、それが「インターステラー」。「それでも、俺は明日が欲しい」という方、必見です。

 「1ヶ月に一回は更新するぞ!」という気概は、何処へ行ったんだか。お見苦しい言い訳ですが、引っ越し・新生活への定着・職場でのドタバタ等で、中々更新出来ませんでした。何より前述のドタバタやら新型コロナ関連のニュース(映画館・クリエーターへの影響や政府の無能さ)に辟易して、作品に触れるモチベが下がったりしてました。しかし、生活と仕事が落ち着き始め、「ブログ書くぞ!」と思わせてくれる映画も観れたので、また書き始めようと思い至った次第です。
 ということで、「インターステラー」です。クリストファー・ノーランの新作「TENET」の公開間近、「監督の過去作品をIMAXで観せるから、新作もIMAXで!」的なキャンペーンに乗っかって、初めてのIMAXで観賞しました。特撮映像もさることながら、脚本の素晴らしさに大満足。エンディングは主演のマシュー・マコノヒーばりに号泣でした。

 遠い未来、人類は地球の砂漠化と疫病による食糧難に苦しんでいた。農夫を営むクーパーは元NASAの飛行士兼エンジニア。人類が科学への期待を失い、その日の食糧の維持に専念する世の中を憂いながらも、娘のマーフィーと共に科学の進歩が現状を打開することを信じていた。
 そんなある日、突如マーフィーの部屋に重力が発生する。その重力からある信号を捉え、解析したところ、復活したNASAの秘密基地の座標を示していた。トップを務めるブラウン教授曰く、クーパーは五次元にいる何者かに選ばれ、導かれたのだという。そこでは、地球を発ち、人類を新たな星へ移住させる、「ラザロ計画」が進められていた。そして調査の結果、土星付近に発生したワームホールの先に人類が生活を営める可能性をもった惑星が、三つあることが判明した。
 クーパーは人類、そして娘の未来の為、計画に参加し、惑星調査へ向かうロケットに乗り込む。人類滅亡のタイムリミットが迫る中、クーパーは新たな移住先を見つけ、帰還することができるのか…。

 まず凄かったのが、轟音と静寂を使い分けた演出。ロケットが成層圏を抜ける際は、激しい噴射音と機体が揺れる音で臨場感を掻き立てられ、宇宙に飛び出した瞬間、それまでの轟音をぴたりと止めることで、実際に目の前の宇宙に放り込まれたような感覚を与えられました。無音による宇宙の広大さ、恐怖は「2001年宇宙の旅」にもありますが、惑星から宇宙へ飛び出すシーンはあちらには無いので、この演出は「インターステラー」ならではの見所だと思います。
 それでも、無音の演出や宇宙での特撮シーンは、やっぱり「2001年」を参考にしています(音楽も「ツラトゥストラはかく語りき」ぽくなかった?)。噴射の轟音→宇宙の無音は、他の映画で既にやってるかもしれないけど、この迫力は簡単に出せるものじゃないでしょう。再見しようにも、あの音が出せないとなると、観るのも躊躇ってしまいますね。

 登場人物には、あまり魅かれませんでしたが(キャラが立ってない訳ではないです)、元海兵隊ロボットのTARS・CASEには激萌えでした。長方形の体に、ディスプレイが一枚備え付けられているだけのデザインなのに、「C-3PO」よりも口達者で、[R2-D2」以上の愛嬌を持っています。正直度が90%と設定され、「100%の正直は、時に人を傷つける」みたいなセリフを言うので、てっきり「HAL 9000」やアシモフの短編「うそつき」みたいに主人公たちを騙すのではないかと、余計な心配をしていましたが、杞憂に終わりました。走る動きといったら、たまらないので、是非一見を。

 壮大なスケールで語られるこの映画で、観客たちは人間の弱さ・愚かさを見せつけられます。予想外のトラブルやブラックホールだけでなく、人間の嘘や保身、諦念がクーパー達調査員を襲います。苦境に立たされ、絶体絶命のピンチでも、娘の為に決して諦めないクーパー、そして父の帰還を信じ、移住用宇宙ステーションの建設に必要な方程式を解き続けるマーフィー。二人の懸命な姿を交互にカットして繋いでいく終盤、そしてその二人の行動が重なった時、SFの凄さと人間の素晴らしさに、客席は嗚咽に包まれました。

 ディストピアものも好きですが、SFこそ人間賛歌に最も適したジャンルではないかと思います。科学とは、人間の進歩の賜物であるし、それをガジェットとして、人の愛・信念を描くのだから、正に人間賛歌。確かに、科学が進歩したせいで発生した問題はたくさんありますし、人がそれを悪用することは否定しません。けれど、これも言うまでも無いですが、科学によって人の生活は良くなったし、これから更に良くなる可能性は十二分にあるわけです。それを「インターステラー」教えてくれます。
 「天元突破グレンラガン」やそれの最終回のサブタイトルにもなっている、フレドリック・ブラウンの「天の光は全て星」のように、人間の可能性・未来を信じさせてくれる3時間。鑑賞の際は、カフェインの摂取を控えることをお勧めします(後半は尿意との戦いになりました)。