あるいはiで一杯の文

前日か当日に観たり・聴いたり・読んだりしたものについて書いていこうと思います。この文を読んだ方が、それらに触れたくなってもらえたら幸いです。

世界の車窓から~地獄列車編~

 映画監督のマイク・リーはこんなことを言ったそうだ。「観客は映画を観ながら旅に出るんだ。ただ、ある時点が来ると映画は『さあ、きみは旅に出た。わたしたちはここに残るが、きみはそのまま先へ行ってくれ』と告げる」と。映画は所詮娯楽だ。一、二時間の現実逃避だ。しかし、単なる逃避にしてはあまりにも豊潤で、ただ生きてるだけでは学びえない沢山のものを教えてくれる。
 外出の自粛を求められ、娯楽施設が休業を強いられる今だからこそ、映画を通して旅に出よう。凍てつく絶望の中を怒涛の展開で突っ走る映画、「スノーピアサー」に乗って…。

 前回のブログから半年以上が経過しているという体たらく。誰にも迷惑をかけてはいないでしょうが、申し訳ありません。今年度は、もっとペースを上げて書きたいと思っています(今のところね)。
 しかし、半年経っても未だにコロナ関連の問題が少しも良くなっていないことには驚きました。しかも、去年と同じくGWはどこもかしこも自粛を求められる始末。ジョージ・オーウェル伊藤計劃も日本がこんなディストピアになるとは夢にも思わなかったでしょう。文化・芸術が蔑ろにされる昨今ですが、可能な限り鑑賞や関連商品の購入によって微力ながらも支援したい所存であります。
 というわけで、家にいながらも列車旅行ができる一石二鳥映画、ポン・ジュノ監督の「スノーピアサー」を観ました。「パラサイトー半地下の家族ー」でのアカデミー賞受賞が記憶に新しいですが、本作もそれに劣らない傑作です。

 2014年、人類は地球温暖化の解決策として、「CW-7」と呼ばれる冷却薬品の散布を決行した。しかし、過剰な散布だったせいか、地球の温度は急激に低下し、全ての生物を凍死させるほどの氷河期を巻き起こしてしまう。そんな人類最後の箱舟はウィルフォード産業が開発した永久機関エンジン搭載の列車、「スノーピアサー」だった。列車は先頭車両から階級順に乗員が決まっており、最後尾の乗員は劣悪な生活とウィルフォード社からの搾取に苦しんでいた。
 最後尾の乗員、カーティス(クリス・エヴァンス)は列車内の不平等を覆すため、先頭車両にあるエンジンの占拠を計画していた。支給される粗悪なプロテインバーに紛れていた赤い紙をもとに、彼と仲間たちはスノーピアサーのセキュリティを設計したナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)を拘束室から解放する。車両ごとにロックされている扉を彼に開けてもらい、先頭車両を目指すのだ。
 最後尾の中で育ち、彼を慕うエドガー(ジェイミー・ベル)、先頭車両に連れていかれた息子を取り返そうとするターニャ(オクタヴィア・スペンサー)、そして最後尾の長ともいえる老人、ギリアム(ジョン・ハート)他多数の仲間を連れて、カーティスはついに先頭車両へ反旗を翻した。しかし、過酷な道程を経て彼を待っていたのは、スノーピアサーの残酷な真実だった…。

 「パラサイト~」の前半、貧乏一家全員が社長の家に寄生するに至るシーンもそうですが、目的に至るプロセスの見せ方が本当に上手いです。別車両に突入する場面、強硬突破用にドラム缶を繋ぎ合わす中、予想外にも兵士が点呼を取りに来ます。長年の観察によって、兵士が持つ銃に弾が入っていないと推察するカーティス、ドラム缶を隠すために兵士に不平をぶつけ、時間を稼ぐエドガー達、次の計画に必要なナムグンが囚われている車両へのドアが徐々に開くところをその合間に見せ、四つのドアが開いたその瞬間、兵士の銃を奪い、カーティスは自分の頭に引き金を引きます。カシャッ!緊張続く場面にほんの一瞬間を置いて、突撃を決行させる流麗さは見事でした。

 列車という舞台設定を余すことなく、使っているところにも唸らされます。進行中に敵兵士と戦う場面があるのですが、大きな橋が見えてきたところで、敵全員がカウントダウンを始めます。何の説明もないまま、カウントダウンが0を迎えた瞬間、「ハッピーニューイヤー!」の歓声。同スピードで世界中を走り続ける列車という設定を説明セリフ無しで観客に再確認させるこのシーン、一本取られた気がしました。
 そう思うやいなや長いトンネルが見えてくると、懐から暗視スコープを取り出す敵集団。列車の電灯が消えていき、後ろに引き返すよう叫ぶカーティスにかぶさるように場面は暗闇になる。確実にジワジワと殺されていく仲間たち、逆転は不可能に思えるシーンですが、これも巧みな伏線回収で、好転させていきます。ここは是非観てほしいので、詳細は省きますが、どこぞの国の聖火リレーよるも熱いシーンでした。

 「私の映画の底にあるのは不安なんです」、「パラサイト~」公開時のインタビューでポン・ジュノはこう答えたそうですが、その言葉通りこの映画の終盤は現実に生きる観客に不安感をもたらします。それは行動を起こしても、社会は変えることはできないということ。
 自らの行動さえも、何者かの掌で踊らされているだけで、そういうシステムに自分は既に組み込まれているという恐怖。映画の終盤、スノーピアサーの秘密を知ったカーティス同様、観客たちにも途方もない絶望が襲ってきます。
 しかし、それでもカーティスは未来に手を伸ばします。このシステムを覆せないと思っても、それを否定し続けます。「殺人の追憶」のような苦々しいエンディングを迎えると思いましたが、この映画ラストシーンでは、ポン・ジュノは微かな希望を提示したように見えました。

 『わたしたちはここに残るが、きみはそのまま先へ行ってくれ』、様々な不安が拭えないままGWを迎えますが、皆様も映画を通じて旅に出てはいかがでしょうか。その旅が素晴らしいものになること、そして皆様が無事にコロナ渦を乗り切れることを切に願います。ご武運を。